【寄稿】トランプ氏の「安保ただ乗り論」とケナン流戦略
- uhyoshi-yami
- 2016年5月10日
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11年前に他界したジョージ・ケナン氏は、ソ連の封じ込め政策の必要性を最初に訴えた戦略家で、米国の極東戦略にも大きな影響を与えた人物だ。1946年2月、ソ連に駐在し大使館政務公使を務めていた際、米ソの冷戦を予見する長文電報を本国に送り、ワシントンの高官の注目を一身に浴びた。その後ケナン氏は47年春、当時のマーシャル国務長官に重用されて国務省の初代政策企画委員長に任命され、米国の世界戦略を総括する役割を担った。
ケナン氏は封じ込め政策の方法として、実に理想的な構想を提案した。その前提となったのは「軍事的に共産圏全域を包囲しなくても、日本・西ドイツ・英国など軍事的・産業的に潜在力のある国々さえ共産主義化されなければ、警察国家であるソ連は内部の問題によって最終的に崩壊する」という考え方だ。その前提の下で「潜在力のある大国が共産主義の誘惑から抜け出すこと」ができるよう、経済的支援と保護を提供すべき」と提唱した。
しかし、ケナン氏の構想には致命的な要素が含まれていた。極東地域については、潜在的な大国である日本だけ復興すれば、韓半島(朝鮮半島)やベトナムといった周辺地域は共産主義の支配下に入ってもさほど支障はないと考えていたのだ。軍備縮小問題に直面していた国防部も、軍の迅速な撤退を強く求めていた。韓半島は戦略的価値が低いだけでなく、世界大戦が起きた場合に米国が防衛すべき主要拠点ではない、という理由からだった。
当時、国務省の中には在韓米軍の撤退に反対する声が依然としてあった。しかしちょうどその1947年の夏の終わりに、ソ連側が南北朝鮮に駐屯する外国軍の完全撤退を求めてきた。この段階でケナン氏は政策企画委員長という立場を利用して国務省内部にあった躊躇ムードを抑え、軍の撤退をすぐに実現できるよう影響力を行使した。韓国の問題を国連に付託し、韓国に単独政権を発足させ、「米国は潔く軍を撤退させる」という結論を導き出したのだ。
6・25戦争(朝鮮戦争)が発生すると、ケナン氏もひとまず徹底的な軍事対応を支持した。しかしこの初動対応の後、ケナン氏は中ソ両国軍が立て続けに介入する可能性を懸念し、国連軍が38度線を越えて北に進軍することに反対した。国連軍による「仁川上陸作戦」の後、国連軍の北への進軍や中共(中国)軍の参戦によって戦争が長期化すると、ケナン氏は停戦協定の締結を強く訴えた。ケナン氏は「韓半島は必ずしも米国が防衛すべき地域ではなく、米軍の迅速な撤退を実現するために外交力を集中すべき」という認識だった。ケナン氏によるぜい弱な対ソ政策は、米国国内の強硬論者から批判された。それでもケナン氏の他界後、米国の学会は、6・25戦争当時ケナン氏が世論やマッカーシズム(半共産主義運動)の勢いに振り回されず、賢明な意見を主張し続けたことを評価している。
6・25戦争以降、韓国の国力は飛躍的に向上し、最近では中国の台頭をけん制するアメリカの友好国として価値が高まった。この点でアメリカにとっての韓国の価値は、昔と今で大きな違いがある。しかし国防予算縮小という問題に頭を悩ませる米国では、ケナン流の戦略も「参考にすべき代案」として今でも議論されている。最近、米国次期大統領選で共和党の指名獲得が確実視されるドナルド・トランプ氏がたびたび口にしている「韓国の安保ただ乗り論」は、米国国内の一角にケナン流戦略への未練がくすぶっていることを示している。北朝鮮の核の脅威によって緊迫感がいっそう増している状況で、米国の韓半島防衛公約が信頼に値するものかどうかを評価し確保することもまた、重要な懸案だということを、ケナン氏の残した記録の数々が思い起こさせてくれる。
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